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瓢泉堂瓢箪との出会い。私が小学校の時、父と竹生島へ行き買ってもらったお守りが小さな小さな瓢箪のお守り。その瓢箪が初めての出会いでした。とても大切に持っていたのを覚えています。それから約ウン十年経ち…本当に久しぶりに出会った瓢箪。草津の矢倉にある「瓢泉堂」での出会い。

瓢泉堂の歴史は長く、江戸時代から代々受け継がれ、現在、六代目。
その昔、江戸時代の東海道。江戸日本橋と最終の京都三条大橋の間に五十三の宿場(駅)が設置されました。
「みちの国」近江を代表する東海道…近江東海道。大津から草津、石部、水口、土山と近江東海道はこの五宿を走ります。
安藤広重の描いた「東海道五十三次」の草津の宿が現在の瓢泉堂に位置します。また、宿場と宿場のほぼ中間に設けられた「立場」。大名や旅人が休息する場です。
草津の立場…矢倉姥餅も現在の瓢泉堂に位置し、瓢泉堂の入り口近くには、その時代の矢橋への石造道標も残っており歴史が垣間見られます。滋賀近辺の方や観光の方がこの道を散策されている姿をよく見かけます。皆さん、石造道標を見たりしながら歴史を感じ、散策されているんでしょうね。

そうそう、私が瓢箪の写真を撮りに瓢泉堂を訪れた時も、「こんにちは!」と一人のおじい様が来られ、じっくりと瓢箪を眺め、「やっと見に来れたわ(^^)」と満面の笑みで写真を撮って行かれました。

瓢泉堂

瓢箪は人間と同じで二つと同じものはありません。そもそも、何に使われていたかというと…江戸時代よりお酒や水を入れる容器として使われていたそうです。現在で言う、水筒の役目ですね。
現在は、お守り、置物として愛用されています。 なぜお守りの役目があるのか…その昔、病にかかった父のために子が養老の滝(岐阜)で瓢箪に水を入れ持ち帰り父に飲ませると、その病が治ったという謂れがあり、そこから「無病息災」のお守りとして重宝されるようになったとのことです。
また、古来より縁起物とされ、六つ揃えば「無病(六瓢)息災」とも言われていたそうです。
この六瓢…六瓢の掛け軸を飾ったら難病が治ったという謂れもあります。歴史がお好きな方はご存知かと思いますが、瓢箪は「勝負にツキを呼ぶ」ともいわれ、豊臣秀吉は戦いに勝つ度に馬印の瓢箪を一つ一つ増やし、「秀吉の千成瓢箪」といわれていたそうです。瓢泉堂の中にも千成瓢箪が飾ってありました。是非、ご覧のなってみてください(^^)

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